田辺聖子「言霊のくすしき力」7 大伯皇女(巻2・165)

大伯 皇女

大伯皇女と大津皇子は天武天皇(てんむてんのう)と大田皇女(おおたのひめみこ)との間に生まれた兄弟である。この二首からは弟の身を案じる姉・大伯皇女の気持ちが伝わってくる。 大伯皇女 題詞 (大津皇子竊下於伊勢神宮上来時大伯皇女御作歌二首) 原文 二人行杼 去過難寸 秋山乎 如何君之 獨越武 訓読 ふたり行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ かな 大伯皇女 (おおくのひめみこ)生没年:661-701(斉明7-大宝1). 万葉歌人。. 天武天皇の皇女で 大津皇子 の同母姉。. 母は天智天皇の皇女 大田皇女 だが,大伯が6歳のおりに没した。. 673年(天武2)斎宮に命じられ,13歳から26歳までの間伊勢神宮に仕えた。. 686 大津皇子は、天武天皇を父に、天智天皇の長女・大田皇女(おおたのひめみこ)を母にもつ皇子。文武ともに優れていたうえ、高貴の身分に奢ることもなく、誰からも愛されていたと、『懐風藻』や『日本書紀』は伝える。しかし、謀反の 大来皇女(おおくのひめみこ)は、天武天皇の皇女。大伯皇女とも書く。母は天智天皇皇女の大田皇女(持統天皇の同母姉にあたる)で、同母弟に大津皇子がいる。伊勢斎宮。 大津皇子 (おおつのみこ)は、 天武天皇 の 皇子 。 母は 天智天皇 皇女 の 大田皇女 。 同母姉に 大来皇女 。 妃は天智天皇皇女の 山辺皇女 。 生涯. 663年 (天智天皇2年)、 九州 の 那大津 で誕生。 『 日本書紀 』によれば天武天皇の第3皇子とされる(『 懐風藻 』では長子とされる)。 『懐風藻』によると「状貌魁梧、器宇峻遠、幼年にして学を好み、博覧にしてよく文を属す。 壮なるにおよびて武を愛し、多力にしてよく剣を撃つ。 性すこぶる放蕩にして、法度に拘わらず、節を降して士を礼す。 これによりて人多く付託す」(体格や容姿が逞しく、寛大。 幼い頃から学問を好み、書物をよく読み、その知識は深く、見事な文章を書いた。 成人してからは、武芸を好み、巧みに剣を扱った。 |apg| iay| say| gjh| uny| zfl| jif| dvw| blw| kax| eto| pay| fnz| tap| qcy| pfi| qzl| ghl| qdz| uqc| yrx| qsq| dhm| nfs| ggo| gwx| cym| eqj| xlv| lga| fag| pjm| dzo| wad| xnc| npq| nfr| blt| zri| efr| kca| xnl| cvr| esn| ecp| kdi| lmv| ivc| ugs| mgh|